大阪地方裁判所 平成10年(ソ)20号 決定 1999年1月14日
主文
原決定を取り消す。
本件を福岡簡易裁判所に移送する。
理由
一 抗告人の抗告の趣旨及び理由は別紙「抗告状」記載のとおりであり、その理由の要旨は次のとおりである。
1 抗告人は、定型的に印刷された契約書の約款等の管轄に関する記載を理解して管轄の合意をなしたものではない。また民事訴訟法一七条において、旧民事訴訟法三一条の「著シキ損害ヲ避クル為」との要件が緩和され、「当事者間の衡平を図るため」と規定された趣旨に照らすと、本案事件を抗告人の住所地を管轄する福岡簡易裁判所で審理することは、訴訟の著しい遅滞を避け、又は当事者間の衡平を図るために必要である。
2 すなわら、本案事件の争点は、債務承認による消滅時効の中断すなわち一部弁済の事実の存否であるところ、抗告人は、反証として、昭和五八年一一月に兵庫県から福岡県に夜逃げした後、債権者である相手方との連絡を一切絶っていることを立証するため抗告人の夫ほか関係者数名の証人尋問及び抗告人の本人尋問を行うことが不可欠であるが、これら人証予定者はいずれも福岡市内若しくはその近郊に居住しているため、大阪簡易裁判所で審理をすれば訴訟の著しい遅滞が生じる。
また、抗告人は無資力であるが、債権回収の専門家である相手方の訴訟提起に対応するため弁護士を訴訟代理人に選任しており、大阪での審理が続くと、弁護士に支払う旅費日当がかさみ抗告人に耐え難い損害が拡大する。他方、相手方は十分な資力を有する金融機関であり、福岡での審理に何ら支障を来さないし、訴訟態度にも誠実さを欠くから、当事者間の衡平を図るため、本案事件を福岡簡易裁判所へ移送すべきである。
二 当裁判所の判断
1 一件記録によると、相手方は、本案事件において、抗告人との間の昭和五八年九月一日付け四〇万円の金銭消費貸借契約(利息・年七三パーセント、元利金は、同月二四日限り三万六二七六円、同年一〇月より昭和五九年一一月まで毎月二四日限り四万一四〇九円を分割して支払い、右支払を一回でも怠ったときは期限の利益を喪失する、遅延損害金・年一〇二・二パーセント。以下「本件消費貸借契約」という。)に基づき、残元金と利息制限法所定の制限利息及び遅延損害金の限度で支払を求め、抗告人と相手方間に大阪簡易裁判所を管轄とする合意があるとして同裁判所に訴訟を提起していること、本件消費貸借契約に使用された「金銭消費貸借契約書」(以下「本件契約書」という。)中の抗告人名下の印影は抗告人の印章によって顕出されたと認められるので右印影は抗告人の意思に基づいて顕出されたものと推定され、本件契約書は真正に成立したものと推定されるところ、本件契約書には「裏面記載の「サラリーローン約款」の全部を承認」する旨の記載があり、同約款二二条は「当事者双方はサラリーローンに関する訴訟について、債権者の住所を管轄する裁判所をもって、管轄裁判所とすることに合意するものとします。」と規定するが(この場合、管轄裁判所は東大阪簡易裁判所となる。)、他方、本件契約書五条は「本契約に定めなき事項については、すべて「サラリーローン約款」記載の通りとします。」と規定し、本契約書末尾には「この契約に関する訴訟については、大阪簡易裁判所をもって管轄裁判所とすることに合意します。」との記載があること、抗告人は本件消費貸借契約締結当時兵庫県川西市に居住し、本件消費貸借契約は相手方日本橋支店において締結されたことを認めることができる。
以上の認定事実によれば、抗告人は、本件消費貸借契約締結の際、相手方との間において、義務履行地(商法五一六条三項、一項)である相手方日本橋支店を管轄する大阪簡易裁判所をもって管轄裁判所とすることを合意したことを認めることができる(以下「本件管轄合意」という。)。
2 民事訴訟法附則四条二項によれば、新法施行前にした管轄裁判所を定める合意に関しては、同法二〇条の規定にかかわらず、なお従前の例によるとされるので、本件管轄合意が他の法定の管轄裁判所を排除する趣旨でなされた場合(いわゆる専属的合意管轄)には、同法一七条に基づく裁量移送ができないことになる。
そこで、本件の管轄の合意が専属的合意に当たるか否かを検討すると、一件記録によれば、本件契約書において大阪簡易裁判所を専属的管轄裁判所とするとは明示されておらず、抗告人が本件消費貸借契約のほかにも数回相手方との間で消費貸借契約や連帯保証契約を締結していたことは窺えるものの、抗告人が普通裁判籍である抗告人の住所地を管轄する裁判所が管轄裁判所から排除された場合の効果を十分に認識した上で本件合意をしたかどうかは疑問であることに照らすと、抗告人が相手方との間で他の法定の管轄裁判所を排除する趣旨で本件合意をしたとは断定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、本件合意は他の法定の管轄裁判所を排除する趣旨ではなく、同法一七条の適用により、訴訟の著しい遅滞を避け、又は当事者間の衡平を図るため必要がある場合には、他の法定管轄裁判所へ移送することができるというべきである。
3 そこで、本件において、訴訟の著しい遅滞を避け、又は当事者間の衡平を図るため必要があるかどうかを検討する。
前記1のとおり、相手方は抗告人に対し貸金の返還を求めるところ、一件記録によれば、今後本案事件の審理において、抗告人は、口頭弁論において商事消滅時効の抗弁を主張し、相手方は、抗告人が昭和五八年一一月一七日から平成五年一二月三〇日まで九回にわたり本件消費貸借契約に基づく債務のうち合計七万円を支払ったとして消滅時効の中断(債務承認)の再抗弁を主張し、これに対し抗告人は、昭和五八年一一月には兵庫県から福岡県に夜逃げしており、それ以降抗告人と一切連絡を絶っていたとしてこれを否認することが予想され、一部弁済の事実の存否が主たる争点になると考えられる。
しかるところ、現段階では、相手方が一部弁済に関する領収証の控え等の重要な書証を提出していないため、審理が短期間で終結するかどうかを予想することは困難である。そして、抗告人は、相手方の立証活動によっては、反証として夜逃げの事実を立証すべく関係者の証人尋問ないし抗告人の本人尋問をなすことが必要になると考えられるが、一件記録によれば、現在福岡市に居住する抗告人は、同市に事務所を有する弁護士を訴訟代理人に選任しており、大阪簡易裁判所で審理が続けられると、弁護士に対する旅費等や自らの出頭のための費用を支出しなければならず、資力の乏しい抗告人にとって、その経済的負担は相手方が福岡簡易裁判所で訴訟を追行する負担よりも相当大きいものと認められる。
以上の事実と、民事訴訟法一七条において、旧民事訴訟法三一条の「著シキ損害ヲ避クル為」との要件が「当事者間の衡平を図るため」との要件に緩和された趣旨に照らすと、本案事件を福岡簡易裁判所に移送することが、当事者間の衡平を図るために必要であるというべきである。
なお、一件記録によれば、抗告人は、本件消費貸借契約の当時は兵庫県川西市に居住していたが、その後自らの意思で福岡市に転居したものであることが認められるが、一般に債務者が種々の事情で契約当時の住所を変更することは有りうることであり、右転居の事実は前記判断を妨げるものではない。
四 以上の次第で、抗告人の移送申立ては理由があるから認容すべく、これと結論を異にする原決定は失当であるから取り消すべく、本件抗告は理由があるから認容し、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 田中澄夫 裁判官 今中秀雄 裁判官 有冨正剛)